※前回の続きです
発覚ー捜査開始
1988年9月衆議院議員の楢崎弥之助(社民連)がリクルート事件の関係者を告発する記者会見を開き、同日夜に議員宿舎での会談のビデオ映像の様子がNNNニュースプライム1(日本テレビ)で全国放送された。
東京地検特捜部は1989年、政界、NTT,労働省、文部省、の4ルートで江副浩正(リクルート創業者)ら賄賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人を起訴、全員の有罪が確定した。だ中曽根や竹下をはじめ大物政治家は立件されなかった。
何故逮捕まで至らなかったのか 従来の汚職事件とは異なり事件性が低い(ただの賄賂)だと見られていたため事件性が薄く立件されなかったのが主な原因


ここによくある私設秘書と公設秘書の違い 公設秘書は簡単に言うと国から認められた秘書「国会議員政策担当秘書試験に合格しないといけない」
その後の判決
その後の判決は上記の通りで12月27日賄賂の影響で竹下登は内閣改造を行う、がその後長谷川峻法務大臣もリクルートからの献金が発覚し辞任その後上記に該当する有力者達が立て続けに賄賂が発覚し逮捕その影響で1989年竹下内閣は総辞職した
その後の影響
この事件がきっかけとなって公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪が確定した公職政治家は実刑判決では執行猶予ではなく判決が出ても、公職を失職する規定が設けられた。(憲法改正)
リクルートとリクルートコスモスははこの事件でイメージが悪化し、その後バブル崩壊で経営危機になり当時勢いにのっていたダイエーにリクルート株を譲渡し江副浩正はリクルートの経営から身を引いた
この事件の影響で1990年代政治改革が起き、小選挙区比例代表制の導入、政党助成金制度の導入、閣僚の資産公開を親族への拡大等の改革の原因となった
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